日本語への直訳が難しかったり、日本語と比べて面白いなとか、文化の違いがあるなと私が感じる韓国語表現を解説してきます。
있어 보인다 / 없어 보인다
今回は있어 보인다(イッソ ボインダ) / 없어 보인다(オプソ ボインダ) についてです。
単語自体は韓国語学習の初期に習う「있다(イッタ・ある)」「없다(オプタ・ない)」と「보이다(ポイダ・~のように見える)」を合わせた表現です。
これは直訳すると「있어 보인다(あるようにみえる)」で「없어 보인다(無いようにみえる)」ですが、これだとうまく説明できていませんね。
この表現は「보이다」を使っているだけあって見た目のことを言っており、見た目について「있다」が『良い』、「없다」が『悪い』ことを表現しています。
つまり、強いて直訳をするなら
「있어 보인다(イッソ ボインダ)」は『良く見える』
「없어 보인다(オプソ ボインダ)」は『悪く見える』
と訳すことができます。
ただ、”何(対象)”の見た目かによって、この『良く・悪く』の意味が微妙に変わっていきます。
もう少し理論的な話をしますが、感覚的に意味を早く知りたい人は、先に下の例から見てみてください。
+アルファで良く見えるのか -アルファで悪く見えるのか
있어 보인다 / 없어 보인다は、対象となる人や物の通常の状態よりも、+アルファで良く見えるのか、-アルファで悪く見えるのかと言えます。
例えば、学校の生徒の目線で見てみましょう。
普段白いTシャツとジーパンを着ている先生がいるとします。ある日、この先生がビシッっと決まったスーツで学校に来た時、
「오늘 〇〇 선생님 있어 보이지 않아? (今日の〇〇先生、カッコよくない?)」となります。
この「カッコいい」には、普段よりもカッコよく見えるというよりは、スーツを着ていることで「エリート教師みたいな」「カリスマ教師みたいな」という+アルファの印象がいつもよりあるよね、という意味が「있어 보인다」です。
逆に同じ先生がスーツではなく、ラッパーのような大きめのシャツと短パンでイメージが良くなかった場合、
「오늘 〇〇 선생님 없어 보이지 않아? (今日の〇〇先生、ダサくない?)」となります。
ここでも正確には「ダサい」というよりは、「(悪い意味で)先生というよりは学生みたいな」「ちゃんと教える能力が無いような」「ダメな先生みたいな」という普段よりも-アルファの印象に見えるよね、という意味が「없어 보인다」です。
例① 料理の見た目
例えば、対象が料理で、自分が作ったラーメンだとします。
普通の辛ラーメンのようなインスタントラーメンですが、適当にトッピングをしておいしそうに見えるようになったとすると「맛있게 보인다(マシッケ ポインダ・美味しそう)」とそのまま表現することもありますが、「있어 보이게 만들었네(美味しそうに作ったね)」と、美味しく見えるように作ったね、となります。
例② 人の見た目
会社員の場合は「있어 보인다(デキそうな社員)」、「없어 보인다(ダメダメそうな社員)」という感じでしょうか。
例えば、新入社員が部署で行ったプレゼンが上手だったとします。
入社したばかりで、業務のことや仕事のことはまだ未熟だったとしても、堂々としたプレゼンをしたことで、周りから「あいつ、デキそうだな」ってことで「얘, 있어 보이네 (あいつ、デキそうに見えるね) 」となります。
逆に、社内的にも実力もあり、優秀と思われている社員がいたとして、プレゼンだけがとても下手だったとします。
そんなときは、あいつ仕事はデキるのにプレゼンの時は「없어 보이네(できない奴みたいにみえるな)」ということになります。
例③ 外国語などの能力
試しにネイバー(네이버)の検索エンジンで「있어 보이는」と検索すると、「外国語がうまく見せれる」という表現が多く出てきました。
私自身はあまり使ったり聞いたことはなかったのですが、例えば「있어 보이는 중국어 표현(デキるようにみえる中国語表現)」という本があり、ネイティブが話すような表現や、通な表現を使うことで『「あの人、中国語上手だな」と思わせよう』ということだと思います。
「있어 보이는」は、見栄っ張りの韓国人にとって大事なこと
私がこの表現を取り上げたのは、韓国人の文化や考え方を良く表した表現だと思っているからです。
日本人と韓国人を比べたときに、目に見えるものに非常に価値を置いているのが、韓国人の方かと思います。(日本人は逆に目に見えないものに重きを置きすぎような気もします)
自分自身や他人を見るとき、内面よりも、経歴や「있어 보이는」見た目を重視する傾向が強いです。
親族同士で集まった時も、自分の子供が良い大学に通っていたり、有名な会社に入っていたりすると本当に嬉しそうにそれを話します。
もちろん、立派な経歴や見た目は大事で、これ自体を否定するつもりはありませんが、時に中身の伴わない見た目に囚われすぎている気もします。
見栄という外面を気にする韓国人と、淑やかに内面に気をつかう日本人と、どちらも結局バランスが大事かと思います。
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